英語のスピーキング練習をしていると時々
「日本語の能力が落ちてないかな」と
心配になるんだけど、大丈夫かな…
本日はこのような疑問にお答えしたい。
- 英語ばかりしゃべっていても決して日本語力は落ちない
- 両者に通じる「言語化能力」が鍛えられるので、むしろシナジー効果あり
- 「言語化能力」はイメージを言葉に変換する能力
- 言語化習慣さえあれば、英語でも日本語でも中国語でもスピーキング力は向上
「英語ばかりしゃべっていても、日本語力は落ちない」
前回、「英語脳」という概念について書いたが、「英語ばかりしゃべっていると、日本語力が落ちるのではないだろうか」と、みなさん考えたことはないだろうか?
僕はよく心配していた。が、僕の考えを言うと、
- 英語ばかりしゃべっていても、決して日本語力は落ちない。
- むしろ「言語化能力」が上がるので、日本語力は向上する
- これはどの外国語を学習していても同様
である。僕の経験上では、はっきりとそう言える。
言語化能力を実感した話
僕がこの「言語化能力」の存在を実感した話をしてみたい。
頭の中のイメージを言語化する習慣がなかった過去
僕がアウトプット嫌いであったことは以前にも書いたとおりだ。
日本語でさえも、人にものを説明するのが非常に苦手だったが、仕事の関係で人に説明しなければならない環境に移ってからは、アウトプット力向上に関する情報を収集した。
僕は、読書や英語リスニングなどのインプットを蓄積していけばいつかアウトプット力が向上して、勝手に説明が上手になるだろうと、ずっと期待していたが、ついにはそれはかなわなかった。
アウトプット力はアウトプットすることでしか向上しないことに遅ればせながら気づいたのだ。TOEICの対策をいくら頑張って900点を超えても英語がしゃべれるようにはならないように。
では、アウトプット嫌いの僕の脳内で今まで何が起こっていたのか?
そもそも頭の中のイメージを言語化する習慣がなかったのである。
頭の中では常に考え事をしており、イメージや映像が渦巻いているのだが、それを言語化する習慣がなかった。
考え事はするが、頭の中では映像が次々に流れているだけだ。
頭の中で起こっている出来事を日本語もしくは英語に言語化する習慣は皆無であった。
「昨日、○○っていう映画を観たんだ。」と誰かに話題をふったとしよう。
しかし相手に「どんな映画だった?」と質問をされたら、
「!?…えーっと…」
ストーリーの説明が出来ない。
そんな体たらくであった。
英語アウトプットトレーニングで得られた副産物→日本語能力も向上
しかし瞬間英作文トレーニングや英語ジャーナリングなど、集中的にアウトプットトレーニングに取り組んだ後、ふと気づいたことがあった。
「なんか、日本語でも説明がうまくなっていないか?」
英語をしゃべる力が向上するのはわかる。しかし、どう考えても僕の日本語能力が上がっていたのだ。
しかも、僕は日本人なので、元々ボキャブラリーは当たり前に豊富である。ちょっとしたきっかけで人に説明する力(日本語)が格段に上がったのだ。
思うに、英語をしゃべる特訓をしたことで、
言語化能力そのものが上がった
のだと思う。
- イメージ → 言語化能力 → 日本語でアウトプット
- イメージ → 言語化能力 → 英語でアウトプット
というように、言語化能力は、「イメージ」と「英語もしくは日本語でアウトプット」の間に位置しており、ここの変換能力が強化されれば、英語であろうと日本語であろうとしゃべる力は上がるのではなかろうか?
うらやましい話だが、元々おしゃべりな人は英語をやってもよくしゃべるし、どんどん上達していく。
認めたくないが、これは事実だ。
話を冒頭に戻すと
「英語ばかりしゃべっていても、決して日本語力は落ちない」、むしろ、言語化能力が上がるため、日本語力も向上する。
と僕は考える。
まとめ
なんだか安心したよ…
これで思い切って英語スピーキングの
トレーニングに励めるよ…
- 英語ばかりしゃべっていても決して日本語力は落ちない
- 両者に通じる「言語化能力」が鍛えられるので、むしろシナジー効果あり
- 「言語化能力」はイメージを言葉に変換する能力
- 言語化習慣さえあれば、英語でも日本語でも中国語でもスピーキング力は向上
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