「英語は手段であって目的ではない」?

「何のために英語を学ぶのか?が重要」

「英語は手段であって目的ではない」

これらは英語学習をする上でよく言われる。僕はこれらのことを聞かれたりすると、

答えに窮する。何故なら

正直、僕は英語を学ぶにあたって、目的とかはあまり考えていないからだ。

しいて言うならば英語そのものが好きだからなのかもしれない。

確かに「通訳になるのが夢」とか「海外に移住したいから」といった明確な目的を持っていたら

僕の英語力はもっと早い段階で開花していたのかもしれない。

明確な目標を持った時の人間の力は計り知れない。それは学び全般に言えることである。

ただ、僕が言いたいのは

大層な目標がなくても、僕は英語を結構しゃべれるようになったよ。

ということだ。今、なんとなく英語を学習している人は、そのままなんとなく学習を続けていてもいいのだ。目標がないことにコンプレックスを抱く必要は全くない。

ライフワークの一環として英語を緩く続けていくという選択肢もおおいにあるということだ。

何よりも大切なのは継続していることだ。

今回は僕のゆるい英語遍歴について語るので、お付き合い願いたい。

目次

 僕のゆるい英語遍歴

 大学受験編

僕は高校3年生の夏まで部活一筋だったため、成績は「学年の下から何番目」レベルだった。大学受験を控えて、なんか楽に成績が伸びる方法はないか?と受験雑誌をぼーっと眺めていた時に目に飛び込んできたセンセーショナルな(誇大)広告。

「英語の偏差値が”35”→”75”へ! byスーパーエルマー」

そう、スーパーエルマーという英語教材の広告だ。僕はすぐに飛びついた。確か3万円を超える高額教材であったにもかかわらず買ってくれた親には感謝している。

本当に英語の偏差値が78まで伸びたのだ。受験期の僕を救ってくれたのは英語であった。

ここでの成功体験に気をよくしたのか、僕と英語との長い付き合いが始まる。

 TOEIC編

英語系の資格は英検しか知らなかった20代の僕であったが、TOEICに出会った。

初回のスコアは650。良くも悪くもない出来だった。

自分の英語力が「合格」「不合格」ではなく、スコアで算出されるTOEICにドハマりした。

数年単位かけてTOEIC900になんとか到達。

このころの僕の英語のゴールはTOEIC900だったかもしれない。

 英検1級編

なにか新しい目標が欲しくなり、当時英検2級しか持っていなかった僕はなんとなく英検1級を目指した。

しかし前途は多難。英検準一級すら3回目の受験でようやく合格。

そこから英検1級にゆるーく挑戦し続ける。4年くらいかけてやっと合格。

英検対策といえば単語集の丸暗記くらいで、あとは試験前に1回、過去問を解いておくくらいのもの。もちろん何度も何度も一次試験で落ちた。

受験料を払っておいて受けに行かなかった回もあった。

英検界隈では受験料のことを「お布施」と表現することがあるが、僕はかなり信心深い英検信者だったと思う。

「英語に触れ続けていればいつかは受かるだろう」くらいのスタンスでのぞんでいた。

やっとのことで”合格”の文字を見つけた時は喜ぶというよりホッとした。

 TOEIC935、英検1級のその先へ

目標としていた二つを手に入れた僕は、

「TOEIC900を超えているのに、英検1級を持っているのに」英語がしゃべれなかったことにコンプレックスを覚え始める。

そもそもは他人にドヤ顔するためだけに頑張っていたのだが、いざ手に入ってみると手放しで喜べない。

「すごいね、やっぱ英語ペラペラでしょ?」が必ずセットで来るので、いつしか僕は他人に英語資格の話をしなくなった。

次の目標は

資格に見合ったスピーキング力を身に着けたい」だった。

 まとめ

今現在も僕は、自分が納得できるスピーキング力を身に着けるため、ゆるい努力を続けている。

しかし最初の方で「英語を学習する目的は考えていない」と言っておきながら、各フェーズでその時なりの目標は持っていたようだ。

小さな目標を達成し続けて今に至る、という感じだろうか。

うん、時間はかかったが英語は結構しゃべれるようになった。

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この記事を書いた人

英語好き(TOEIC935、英検1級)

「10年以上英語学習しても英語がペラペラになるわけではない」ことを身をもって体現。「インプット主体→アウトプット主体」に切り替えたとたん、スピーキング力が劇増。主にスピーキング力UPのための情報発信中。

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