僕は英語習得を長期スパンで考えている。長期スパンどころか、「英語は人生レベルで習得するもの」だと考えている。
英語は期間限定での取り組みに向かない
「英語は」というより基本「語学は」期間限定での取り組みにより習得できるものであるとは考えない。
僕ら日本人も日本語を一朝一夕で身に着けたわけではない。
英語は知識を暗記するものではなく、身に着けるもの
だからだ。素振りを毎日行って体にフォームを覚えこませるようなものだ。
会社からの要求で急遽TOEICを受けることになったとしても、数週間から数か月の取り組みで劇的にスコアが上がることは決してない。せいぜい小手先のテクニックを学んだり、模擬試験を受けて本番形式に慣れるくらいしか方法はないし、それで上がるスコアなんて微々たるものだ。
「過去にどれだけ英語に触れてきたか」が結局、英語力を決める。
スポーツのように年齢による肉体的限界がない
スポーツは加齢による衰えから、いつかは引退しなければならない。
それに対して英語は一生ものだ。英語学習している人は死ぬまでその恩恵を享受できる。特にインターネットの普及により、現代社会では世界中の情報にアクセスできる。
英語が出来て不利になることは絶対にない。
肉体はいずれ衰えていくが、脳みそはそうではない。「70歳になったから英語を引退する」必要もない。英語経験は蓄積されていく。
どうせなら英語をやった方が人生楽しくなる
これは僕の個人的な考えなので強制はできない。「一日は24時間」というのは誰にでも平等に与えられているし、他のことに時間を割くべきと考えている人もいる。
しかし、人生のうちの一定期間、時間をかけて英語力の下地を身に着けてしまえばあとはラク。
「洋画を楽しんで観ているだけで勝手に英語力がアップしていく」
「海外のYouTube動画を楽しんでいるだけで英語力もアップしていく」
こんな状態になれる。
英語の基本がしっかりしていれば、後は自動的に英語力が伸びていく。僕は今、そんな状態だ。
この先死ぬまで自動的に英語力が伸びていくのだ。
定年退職してから通訳になった人の話
僕は数年前にある本と出会ってから、英語の習得を急ぐことはなくなり、人生単位で英語を習得できればいいやと考えられるようになった。
「英語が話せない、海外居住経験なしのエンジニアだった私が、定年後に同時通訳者になれた理由」
という、ちょっと長いタイトルの本で、田代真一郎さんという方が書かれた本だ。
この方は60歳までエンジニアをされていたが、定年退職後に通訳になられた。
詳細はここでは割愛するが、この本で得られたものは
「人生で無駄になることなんてない、英語をやってきてよかった」
ということだ。この方は、エンジニアとして過去に培ってきたご自身の分野の専門知識を武器とし、そこに特化した英語を身に着けることで、通訳の現場で重宝されているとのこと。
僕自身、現在、英語を使用するような仕事環境ではないため、
「この先、英語を頑張る必要があるのか?」と疑問に思っていた時期があった。
しかしもう迷うことはなくなった。
僕は一生をかけて英語を学んでいこうと思う。
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