僕は英語ジャーナリングをかれこれ2年近く継続している。英語ジャーナリングによって英語スピーキングで困ることはほぼなくなった。
が、英語ジャーナリングにデメリットがないわけではない。今回は
英語ジャーナリングのデメリットをあえて挙げて、それに対する対策について述べていこうと思う。
ネイティブの添削を受ければより短期間で格段にアウトプット力は向上する。詳しくはコチラデメリット①…だんだん書かない日が出てくる
英語ジャーナリングを継続していくと、時々、日記を更新しない日が必ず出てくる。
忙しかった、家に帰れなかった、など理由は色々あるが、とにかく書かない日が出てくるのだ。僕は毎日更新を基本としているので、次の日に書けなかった日の分の日記と、その日の日記、つまり2日分の日記を書かなければならなくなる。
1日分くらいならすぐに取り戻せるかもしれないが、2日分、3日分とたまってくるといよいよ「リセット」するのが難しくなってくる。その日の内容を思い出すことが困難になってくるのだ。
しかも英語でジャーナリングをしているのだ。慣れないうちはなかなか負荷のかかる作業になってしまう。
挫折しそう…
どうすればいいかな…
対策…日本語でメモしておこう
英語ジャーナリングを出来ない日が出てくるのはもうあきらめよう。問題はジャーナリングできなかった日がどんな一日だったかを思い出せるように日本語で備忘録としてメモしておこう。がっつり日本語日記になってしまってもかまわない。
時間のある時にその日本語メモをもとに記憶を呼び起こし、英語ジャーナリングするのだ。
僕の場合はそもそもの言語化能力に問題があったので、ジャーナリング開始1年後くらいから、日本語日記と英語日記を併記している。
日本語であれ英語であれ、ジャーナリング自体による言語化能力の向上が見込める。
デメリット②…どうしても過去形が多くなってしまう
日記とは基本、過去に起こったことを思い出して書いていくもの。必然的に
「過去形で書くことが多くなってしまう」
逆に言えば、ジャーナリングによって「過去表現に強くなる」ともいえるし、それは大きな大きなアドバンテージではあるのだが、現在形や未来形の表現だけ一向に成長しない、といったことにもなりかねない。
特に現在形では3単現といった重要文法項目が出てくるが、過去形ではそれを使用する機会がない。
つまり文法運用能力に偏りが出てしまうのだ。
対策…これは意識的に現在の考えなどを日記に書く必要がある
日記の性質上、過去形が多くなってしまうのは仕方のないことだ。これは無理やり現在形や未来形を登場させるしかない。
例えば過去に起こった出来事について自分の所見を現在形で書く。「こんなことが起こったが、それに対する僕の考えはこうだ」というように、起こった出来事に対する自分のスタンスを述べる。
※しかしこれはデメリットととらえるほどのことではないかもしれない。英語ジャーナリングで過去形に強くなり、普段の英語独り言で現在形に強くなる、といった棲み分けでもいいと思う。
デメリット③…表現がマンネリ化しやすい
一般的な社会人なら、基本的には毎日同じような生活を送っていると思う。たまにドラマチックな出来事が起こることもあるが、大体毎日、同じようなことをジャーナリングすることになる。すると
表現がマンネリ化しやすくなってくる。
これでは表現の幅は一向に広がらないだろう。
もちろん、考えなくても自動的に表現が浮かんでくることは、非常に良いことでもあるが、それを1年も2年も続けるべきであろうか?いやそんなことはないはずだ。
対策…時にはゆっくり別の表現を探す機会を作ってみよう
ダイレクトに英語でジャーナリングしている時ほど、表現が似通ってきやすい。しかしここで上で述べた「日本語でメモをする」利点が出てくる。
日本語のメモを参考にしながら、ゆっくりと新しい表現を探しながらジャーナリングしていくのだ。
ネイティブの添削を受ければより短期間で格段にアウトプット力は向上する。詳しくはコチラまとめ
…とまあ、書いていて思ったのだが、
「無理やりデメリットを作ってる感があるな…」
というのが正直な感想だ。
うん、僕もちょっと思ってた…
つまり英語ジャーナリングにデメリットなどない、といってもいいのではないかと思う。
しいて言えば、挫折しやすいことくらいか?毎日、欲張らずにすこしずつを継続していけば、いずれ習慣となる。
英語ジャーナリングは、未来のあなたが読者になる。
なので未来のあなたを楽しませるようなこと、懐かしく感じるようなことを書いていこう。
英語ジャーナリングは、未来のあなた「しか」読者にならない。そして、そうあるべきなのだ。
だから、他人に見せられない自分を正直にさらけ出して書こう。そんな文章が未来のあなたを感動させる。
コメント